ウオーク会 第122回
2024年11月
水戸藩ゆかりの史跡巡り 那珂湊地区
前日の曇天で心配したが青空に恵まれた11月16日、水戸藩ゆかりの史跡巡りを実施した。
場所は那珂湊。各自の都合で電車、自家用車夫々で行くことになり、那珂湊おさかな市場に10時集合とした。皆さんほぼ定刻に集まり、幸先の良いスタートであった。
定刻に出発し、まず湊公園を目指した。ここは徳川2代藩主・徳川光圀が元禄11年(1698年)に建てた水戸藩の別邸「い賓閣」があった場所で湊御殿とも呼ばれていたと言う。公園は高台にあり、太平洋や那珂川が見渡せる景勝地であった。樹齢350年以上の見事な黒松がまだ残っていた。
次に20分ほど移動して山上門へ。水戸藩江戸小石川邸にあった勅使奉迎の門で昭和12年(1937年)にこの地に移築されたとのこと。残存する唯一の建造物である。
コースの終盤は反射炉跡へ。国防の必要性を唱えた9代藩主・徳川斉昭が鉄製大砲の鋳造施設として築造した。名前は火炎を炉内で効率よく反射させる構造に由来していると言う。約20門が鋳造され幕府に献上された。現存のものは復元模型で地元の有志で昭和12年に築造された。
那珂湊は海や川があり江戸時代から舟運の拠点として賑わい、当時の水戸藩が繁栄した地でもあることに思いを巡らした約2時間のウオークだった。最後は近くの食事処で、新鮮で豪華?な魚料理を堪能し解散した。
場所は那珂湊。各自の都合で電車、自家用車夫々で行くことになり、那珂湊おさかな市場に10時集合とした。皆さんほぼ定刻に集まり、幸先の良いスタートであった。
定刻に出発し、まず湊公園を目指した。ここは徳川2代藩主・徳川光圀が元禄11年(1698年)に建てた水戸藩の別邸「い賓閣」があった場所で湊御殿とも呼ばれていたと言う。公園は高台にあり、太平洋や那珂川が見渡せる景勝地であった。樹齢350年以上の見事な黒松がまだ残っていた。
次に20分ほど移動して山上門へ。水戸藩江戸小石川邸にあった勅使奉迎の門で昭和12年(1937年)にこの地に移築されたとのこと。残存する唯一の建造物である。
コースの終盤は反射炉跡へ。国防の必要性を唱えた9代藩主・徳川斉昭が鉄製大砲の鋳造施設として築造した。名前は火炎を炉内で効率よく反射させる構造に由来していると言う。約20門が鋳造され幕府に献上された。現存のものは復元模型で地元の有志で昭和12年に築造された。
那珂湊は海や川があり江戸時代から舟運の拠点として賑わい、当時の水戸藩が繁栄した地でもあることに思いを巡らした約2時間のウオークだった。最後は近くの食事処で、新鮮で豪華?な魚料理を堪能し解散した。
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