楽習会202418
実施日:令和7年2月27日(木)13:30~15:30
■ テーマ: 郷土の歴史・文化 ‥古代東海道と長者山遺跡
第18回楽習会は日立市郷土博物館の学芸員で猪狩俊哉係長殿を講師にお招きした。
長者山遺跡は十王町の市史編さん事業の一環として2007年 (平成19年)に発見され、その後10年間に渡り調査が進められた。日本の歴史を正しく理解するうえで欠かせない歴史・学術的価値が有り、2018年 (平成30年)に国の史跡に指定された。
講話では古代東海道の構築から当遺跡の発見に至る経緯と歴史・文化の営みを古代の文献、発掘記録、航空写真を基に分かり易く解説いただいた。ポイントを纏め内容を紹介する。
1)なぜ古代東海道と長者山遺跡か? 奈良・平安時代に三重県(伊賀)から茨城県(常陸)に延びる古代東海道が構築された。その道路(ルート)沿いに宿(馬家)が設置され、そのうち1カ所が古代東海道の北端に近い長者山遺跡である。当遺跡の発見で古代東海道が常陸国に延長されていたことが立証された。
2)古代東海道の「道」は広域行政の広い範囲を意味し、古代東海道は三重、静岡、茨城など広い地域を示していた。現在の北海道「道」の呼び名は、その名残であるとも考えられている。
3)地理上の当遺跡は常陸国風土記など古代の文献、地名、石碑(道標)などを手掛かりに調査され、十王町伊師(愛宕神社周辺)の場所が有力視された。
4)当初は古代の官道跡から発掘が始まり、道路側溝と異なる溝跡が愛宕神社跡付近で偶然、発見された。神社跡は古代から保存状態が良く当遺跡の全容解明に繋がった。
5)当遺跡は役所の施設である官衙遺跡で8~9世紀の掘立柱建物跡(17棟)、9~10世紀の礎石建物跡(8棟)が発見された。周囲には7世紀後半の竪穴建物跡(6棟)も発見された。遺跡全体は東西134~165m、南北110~116mの大きさで遺跡を囲む区画溝跡も発見された。
6)近代の「道」は道路(ルート)の意味に変更されている。明治5年(1872年)に古代東海道の武蔵国千住(東京都足立区)から陸前国(宮城県岩沼市)までを陸前浜街道と呼ばれ、その後に東京と仙台間が一般国道6号に統一された。
7)日立市の生立ちは古代(奈良~平安時代)と近世(江戸時代)において概ね解明されてきたが、中世はよくわからない ‥今後の課題とされている。
国内には多くの国史跡が残されているが、市内の身近な所に日本の歴史を正しく理解する当遺跡が発見されたことは正直言って驚きであり、市内の地名に古代の名残りがあることも驚きであった。
最後に日立市の歴史・文化を学ぶ有意義な今回の講話に対し、拍手で猪狩講師に謝意を示し本楽習会を終了した。
参加者 24人(うち会員外1人)
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